登場人物
- 朝倉澪(あさくら・みお)……フリーライター。語り手。
- 久世真司(くぜ・しんじ)……元編集者。霧ヶ峰の旧天文台「星影館」の管理人。
- 鳴海紗季(なるみ・さき)……装画家。寡黙で、白い指先をしている。
- 樋口朔(ひぐち・さく)……中学校教師。几帳面で、声が低い。
- 片桐遼(かたぎり・りょう)……時計修復師。油の匂いをまとっている。
- 三枝冬馬(さいぐさ・とうま)……映像作家。笑い方が軽い。
- 柚木千鶴(ゆのき・ちづる)……古書店主。静かな観察眼を持つ。
最初に立ち上がったのは樋口だった。椅子が後ろへ擦れ、私はその音でようやく体が動いた。七人分の足音が、螺旋階段を乱れて上る。古い鉄の手すりは冷たく、掌に冬の金気を残した。
観測室の扉は半開きだった。誰かが閉め忘れた、というふうに、ほんのわずか口をあけている。その隙間から、冷気が白く流れてきた。
中は暗く、星図灯だけが点いていた。青白い光が丸天井に薄く滲み、中央の大望遠鏡を墓標みたいに浮かび上がらせている。床に久世が倒れていた。後頭部のそばに、黒く濡れたものが半月形に広がっていた。近くには真鍮の接眼部が転がり、ひと筋だけ血を受けて鈍く光っていた。
鳴海が息を呑み、冬馬が思わず「おい」と声を出した。柚木は一歩も近づかず、ただ窓の方を見ていた。観測室の天蓋はわずかに開いていて、吹き込んだ雪が床に白い舌のように伸びていた。
私は膝をつき、久世の手を見た。右手が固く握られている。指をこじ開けると、小さな真鍮のねじがひとつ、掌に残っていた。
「触るな」 片桐が低く言った。けれどその声は、注意というより、自分に向けたもののように聞こえた。
樋口が脈を探り、首を横に振った。教師らしい落ち着きで振る舞っていたが、耳の後ろまで血の気が引いていた。
そのとき私は、ひどく些細なことに気づいた。観測室のストーブは消えている。なのに、久世のコートの襟元には、まだぬくもりの名残があった。死んで間もないのか、それとも別の場所にいたのか。さらに、床にこぼれたグラスの琥珀色が、完全には凍えていない。
窓辺では雪が、誰かの袖でぬぐったように一か所だけ薄くなっていた。
階下から柱時計が九つ、重々しく鳴った。
私は数えながら、妙な違和感に襲われた。ここへ駆け上がってくるまで、それほど時間があっただろうか。久世の体の冷え方も、酒の匂いも、雪の積もり方も、あの九つの音と、うまく噛み合っていない。
その違和感は小さかった。けれど、雪の降り積もる夜の館では、小さな違和感ほど、やがて人を刺す刃になる。

